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Longer Tweets

10代最後の夜

過ぎてしまった事をあまり覚えている方ではない。過去の出来事を挙げられても「そんな事あったかな」と首を傾げる事が多い。

しかし、その空間に居た複数人が見聞きしていたはずなのに、どうやら俺だけが鮮明な記憶を保っているらしい出来事もあって、例えば今自分に向かって話している相手の名前は思い出せないのに、彼女が後期中間試験の日本史で84点を取ってなお暗い表情だったことなどである。いつか忘れてしまうことと、いつまでも覚えていることの境界線とは不思議で意識の及ばないものである。

記憶と向き合うと、文化祭や体育祭などの大きな出来事はそれなりのスペースを占めているのだが、注意して見るとそれは題名ばかりが強調された精彩に欠ける絵であり、実際に額縁の内側にあるものは文化祭当日の朝に準備を抜け出して飲んだカルピスの味と嵐の前の静けさに揺れる食堂の景色である。

 

今日は十代最後の日であるが、大きなタイトルの割に特筆事項は少ない。なんの記憶にも残らない1日だった気がする。もっとも、その答えがわかるのは十年後、二十年後のことだが。

「人生80年、夏は80回」というキャッチコピーがある。実際は20回くらいなんじゃねえかなという疑問は他所に追いやり、ティーンエイジャーは一度きりである。今日出来なかったことは一生出来ないから、と思い立ちキーボードを乱打している。

 

明日から私は二十歳になる。まだ実感はないし、しばらくないままで過ごすのだろう。アンケートの年齢記入欄で「10代男性」に丸を付けないように気を付けねばならない。

当たり前のことだが、次に十の位が変わる時は30歳だ。意味を考えたら実感が遠ざかった。

二十代と言ったら立派な大人である。定期券の残高は常に5ケタだろうし、降水確率が50%の日には傘を持ち歩けるようになる。50%って降るか降らんかわからんってことだろ、とか言っているうちはまだまだチャイルドだ。

 

今日は映画館で『千と千尋の神隠し』を観た。映画館で初見を迎える幸福があったので、19年と36X日、観ないで過ごしても良かったなと思う。

どこに何を思うかは人それぞれ千差万別だが、私はゼニーバの「いい名前だね。大切にしな!」というセリフが好きだった。

映画を観た後は巨大な本屋に足を運んだ。入り口の台に平積みされた『おしいれのぼうけん』に目が吸い寄せられてしまい、いけないことだとわかってはいたが手に取って立ち読みしてしまった。たぶん未成年者保護法とかで守られてるから平気だと思う。消費期限、今日までだけど。

 

この記事を書く直前、北海道で暮らす小学校からの親友に本を送った。四月に誕生日を迎えた彼への遅すぎる誕生日プレゼントのつもりだ。「四月生まれは仲良くない人からもとりあえずでプレゼントを貰うからめんどくさい」と愚痴っていた女の子は元気だろうか。

余談だが北海道に移住した彼は東京で雪が降ったと言うと「ふーん…」と意味ありげな北から目線を送るようになり、大晦日に会った時は信じられないほどの薄着をしていた。ウザかったがお情けで聞いてやると「うん…まあ実際耐性が付くんだよ…わざとじゃないから許して…」と辛そうな顔で言うのでお互いにいたたまれなくなった。

かつて盲腸を患った心優しい彼の胃は着実に削られており、そろそろ穴が空く頃と思われる。

 

Twitterでトンチンカンな事しか呟かないのだが、通知欄に中高の友人が現れるとちょっと嬉しくなる。こっちは元気よ〜そっちも元気ならそれでいいや〜くらいの気持ちでスマホに手振ってる。

明日以降はオンライン飲み会に誘ってくれる人間が居るだろう、おそらくきっとそうに違いないたぶん。

 

23時45分になったらコンビニに向かって、0時過ぎたらお酒買うアレ、やる。

今この文章を打っている、この記事に居る私が、十代最後の私です。